最近ラジオからよく流れてくる曲に宇佐元恭一の「雨ニモマケズ」というのがある。
http://jp.youtube.com/watch?v=sndgaROMsY8
 元からある詩に曲をつけることは、歎異抄に曲をつけたいト思っている自分にやっぱりできると思わせるものがあります。で、この「雨ニモマケズ」を聞くと当然宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にたどり着き、http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b1%ab%a5%cb%a5%e2%a5%de%a5%b1%a5%baを見てうん?と目が止まってしまいました。
 宮沢賢治のメモの最後は、
『サウイフモノニ
 ワタシハ
 ナリタイ
   南無無邊行菩薩
   南無上行菩薩
  南無多寳如来
 南 無 妙 法 蓮 華 経
  南無釈迦牟尼
   南無浄行菩薩
   南無安立行菩薩
 で終わっているようです。ここのところは教科書には出てきません。南 無 妙 法 蓮 華 経。本当に法華経に南無していたことが分かります。もともと真宗門徒だったと聞いたことがありますが、宗派間で回心が起こって熱心な法華経信者となったのはなぜか?ほとんど知識がないので、自分の経験でしか想像できませんが、そんなことも真宗の大学などでは研究されているんでしょうか。特定の宗派と人間の葛藤の関係が、宗派を選び取った人の思想(思考)からよく分かってくるのではないでしょうか。
 
ということで、いま真宗から決別していった人の思想に大変興味があります。それを知ることによって、その人の考えをよく検証することで、自分の中で正否を納得できると思うからです。完全なる自力、絶対自力のすえに終着があるのではと少し感じてきました。「青い鳥」も見つけようと経験しないと見つけられない。