今日、西蓮寺様の来られる説教師さんは三浦教照師です。この方は若いころよく歩かれたということを聞きました。だからかも知れませんが高齢でも元気です。
 数字に強く、一升マスにはいるお米の数はいくつという話とか、二宮尊徳の節約の話の印象が強く残っています。西尾店にいるときよくお寺に行っていましたので、その関係でか知りませんが、「『人間』について-苦・悩・欲・死 そして生きるとは」金子大栄著の本をわざわざお店まで持ってきてこれを読んだら良いとくださいました。6年も前のことでしょうか。
 その師と久しぶりにお会いでき、話が聞けることと思います。数少ない昔の説教師というまた独特の雰囲気のある先生です。ほんとうにお育て頂いております。

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西蓮寺様の秋季永代経法要にお参りさせていただき、三浦教照師のお話を聞かせていただきました。去年、別のお寺で聞いたときに元気がなかったので心配していましたが、このときは元気いっぱい、よく通る声で冗談を交えながら、楽しい法話を聞くことが出来ました。残念なことに葬儀が入ったそうで、10分早く終了になりました。そんなことで、終了後もあまり話は出来ませんでしたが、一応挨拶は出来ました。先日仏壇を納品した方と同級生だそうで、その方もご縁ですねと言っておりました。何はともあれ、みんな元気で幸いなことです。ご縁に感謝!

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 メインイベントは、午後7時からの音楽法要(於西光寺)。
 お店を閉めるのが6時ですので6時半にはお寺に着いていました。7時少し過ぎから音楽法要が始まりました。参詣は30〜40人。合唱の人も入れると50名近くの参加です。
 総礼。「真宗宗歌」に続いて、和讃「弥陀の本願信ずべし」「弘誓の船」「弥陀の名号となえつつ」「無慚無愧のこのみにて」「聖人一流」の合唱発表。
 三帰依パーリ文を唱えて、同朋奉賛式の勤行。「千の風になって」「千の風」「恩徳讃Ⅲ」「ふるさと」を歌って、「恩徳讃Ⅰ」で締めくくって音楽法要は終了しました。
 なぜ、恩徳讃はⅢとⅠなんだろう?というような疑問も持ちながら、平田聖子さんの「お話と歌唱指導」が始まりました。
 歌の解説の合間のお話は法話であり、すばらしいものですと以前も書きましたが、今回はそれから2年くらい経っていますか、パワーアップしていまして、法話半分指導半分くらいになっていました。平田聖子さんの話は、作曲した和讃に基づいて阿弥陀さまのお話をしてくださると言うもので、歌がある分印象に残りやすいでしょう。ご本人の人柄が随所に現れていて、ほのぼのとやさしいお話です。でも歌になると力強く澄み切った歌声を本堂に響き渡らせます。特技を持った在家法話者がみごとに誕生していることに何か感じるものがありました。特別な資質をもっておられることは羨ましいかぎりです。
 自分は以前キーボードに一回だけ挑戦したことがありましたが、全く無謀な挑戦でした。本当は続けていれば何とかなったのかも知れませんが、これもご縁がなかったということでしょう。
 60分みっちり歌唱指導を受けまして、みんな歌えるようになったと思います。終了後、ご無沙汰している挨拶と、転勤で碧南にいることを伝えました。
 このような会に呼ばれることが本当にありがたいことで、法話をさせていただく私たちが一番、御法に遇えてうれしいことですとお互いの身の不思議を共感した次第。
 また、どこかでお会いできることでしょうということでお別れしましたが、自分の周りの人たちはみんなどんどん大きく育っていってしまって、なんか置いてきぼりのような寂しさも感じてしまいます。それだけ自分は頑張っているか。もう一度発破をかけて問い続けて行かなければ。どこに立ち位置を持ってくるか。自分の分斉はいかなるものか。
 今、今、今、というお話もありました。今日からまた仏壇を売りに行ってきます。
 思考は人を変えない。人を帰られるのは経験だけである。
 自分はどう変われるのでしょうか。楽しみなようでもあります。