ETV特集「戦争は罪悪である」
 宗教の戦争責任を見つめる

2008年10月12日(日)午後10:00-11:00NHK教育
日中戦争時、大多数の宗教者が戦争に協力していく中で、「戦争は罪悪。この戦争は侵略である」と説いて検挙された浄土真宗大谷派の高僧・竹中彰元の行動と理念を通し、「宗教者の戦争責任」を考える。

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 戦時中、浄土真宗はその教義を曲げて、めちゃくちゃをやった。そんな中で「戦争は罪悪である」と70年前に言った人がいる。それが竹中彰元師である。現実に真宗が何をやったか、義務教育では教えられない。
 ちょっと前の「朝まで生テレビ」で、皇室がテーマのとき、話が逸れて「真宗こそ戦争に一番加担してきたではないか」という発言に異論がなかった。自分は「へー、そうなんだ。」と疑いとやっぱりの半々ぐらいに考えていた。ETV特集で見ると、「一殺多生」だとか伊勢神宮への参拝だとかもうなりふり構わず加担している。そして戦争に反対した、竹中彰元師や高木顕明師とかが裁かれていく。真宗は積極的に破門して、真宗寺院はさらに戦争に協力することを表明した。
 このことは、真宗にとって大きな罪であり、過ちを認めたが、今も常に反省しなければならない大きな、永久に消えない罪を背負っていると言える。
 自分は4〜5年前に清沢満之師の「宗教的信念の必須条件」の中で、『宗教的信念を得た人を無碍人と称する、ここに到ると、道徳を守るもよければ、知識を求むるもよし、商売するもよければ、政治に関係するもよく、漁猟するもよければ、また国に事あるときは銃を肩にして戦争に出かけるもよいのである。』の一文を見たとき、これはとんでもないことを言う人だと衝撃的に思ったものである。それ以来、清沢満之師を絶対的に好きにはなれない。しかし、戦時には戦争という言葉も、それに協力参加するということも日常の現実であったということである。
 ここで余り知らないのだが、他の教団はどう対応したのだろうか。やはり協力したのであろうか。それとも、うまくやり過ごしたのだろうか。協力すれば甘い汁も吸えたことだろう。凡夫の集団の宗教と自ら証明した格好である。
 宗教が戦争に反対しないで何の意味があろう。しかも、その壮大な権力をもって積極的に戦争に協力するとは如何に冥土を迷っていたか。
 戦時中、日本の勝利のために加持祈祷を行った真宗教団が、いまさら冥土、天国、清めの塩NGとか言ってもそれも将来、真実かどうか怪しいものである。塩を撒いて神聖な気持ちになったほうが良いかもしれない。(真宗の教義は教義として尊重しなければならないが、別のことをやっている人を無理に止めさせることはできないだろう)
 今となっては、竹中彰元師や高木顕明師の復権がかなったが、TVでも言っていたとおり、時遅しと言えるだろう。それだけ問題意識に乏しいというか、責任をうやむやに偽装できればしたいという宗教団体だったということでもある。
 今後の真宗教団がどうなっていくのか。親鸞聖人750回御遠忌は、そんな意味でも大事な節目になるような気がする。