遠藤周作さんという方は名前は有名だったので知っていましたが、本は読んだことがありませんでした。遠藤氏の主張は宗教の概念を持ちながら、世間の波はかぶらないようにうまく乗っていきましょうというような感じで、蓮如さんが宗教よりなら、遠藤氏は世間よりといったところでしょうか。現代の考えは後者のほうが受け入れ易いかもしれません。『らくらく人間学』の中の冒頭に「共時性」について書いてある部分がありました。「共時性」とは、別々のところで偶然同じようなことをしたり、考えたりすることで、そして、そこには偶然を超えた何かがあるのではという学問もなりたってきたりして、大学の研究テーマにもなっているそうです。
 今日映画「神様のパズル」を見てきました。結構面白かったです。哲学コメディーとでも言いましょうか…。深く見ればかなり深い。内容は見てのお楽しみということで、その内容と、今自分が読んでいる「数学的にありえない上・下」アダム・ファウアー著がまたよく似た話なのです。これも不思議な偶然(共時性)です。
 映画のほうは、それこそ偶然ブログを見て、面白いと書いてあったので見てみようかと思い、今日映画館に行ったのですが、始まるまでに90分もあって途中で止めようかとも思いました。しかし、結局見てしまったわけで、この結果は決まっていたのでしょうか。
 そして、見終わってやっぱり来て良かったと思えた、この感覚は何なんでしょうか。
 「神様のパズル」のような話を、宗教の方面から見直してみたい、また纏めて文章にしたいと考えていたのに、当り前のように才能のある人は実行できてしまう。自分は考えていることをそのまま表現できないことの不自由さを本当に感じて、まどろっこしく思っています。
 何にしても楽しめたし、ヒントをもらった。「共時性」のある生活が人生を楽しませてくれるようですし、そのためには何かを始めたり、考えたりする動きが必要なのでしょう。

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 また、何かをやるときの苦労は、その結果に掛け算として効いてくるということを感じました。今日の映画も、ポスターを見て自分の趣味じゃないと判断しそうになったのですが、なぜか90分も待って見てしまいました。そして結果的に感動できた。その感動は、やっぱり待って見た甲斐があったと、より増幅したものになったようです。もし、つまらない映画だったら、その感じ方もより損をしたように感じて、怒りさえ感出てきてしまうでしょう。その辺のこころの問題も人生楽しむために解読していきたいところです。