ホームレス中学生」田村裕著。面白いです。発売から3ヶ月で100万部突破はギネスブックにも申請すると言っていましたが、内容を聞いて知っていても読んでしまいます。
やなせたかし氏のコメント「人々にパンを与えたアンパンマン、ハトからパンを奪った田村くん。どちらの話も、みんなに生きる勇気を与えてくれる」
 著者である田村氏のあとがきに 「僕は、お湯に感動できる幸せのハードルの低い人生を愛しています。」とある。もう今では貧乏ではなく、お金持ちの仲間に入っていくことになるが、この本で稼いだお金を有効に活用してもらいたい。そうしてくれるだろうから、この本が売れたと考えるようにしてほしい。
 余談になるが、自分は時々宝くじを買うのだが、当たったお金を有効に使えるようになったときに、当ててくれるのだと考えている。残念ながら、欲の煩悩いっぱいの現在では当たりそうな気配すらない。

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 そこで「求めない」加島祥造につながる。
  求めない/すると、何かが変わる
 「はじめに」に「誤解をしないでほしい。『求めない』と言ったって、どうしても人間は『求める存在』なんだ。それはよく承知の上での『求めない』なんだ。…中略…ぼくが『求めない』というのは 求めないですむことは求めないってことなんだ。すると 体のなかにある命が動きだす。それは喜びにつながっている。」と書いている。真宗のお味わいに似ているというか、それを表現しているのだと思う。「五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと あんなこと 嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。」とも書いている。
 宗教と哲学はどう違うのだろう。加島祥造氏は少なくともここに書かれている感覚を実感している、宗教体験の有無は分からないが、「体のなかにある命が動きだす。それは喜びにつながっている。」というのは、真宗法話でよく言われることである。「命の喜び」は生きる本質的目的で、どんな方法を使おうとそれを体得することが「生きた」ということであろう。その方法と言うものが修行であったり、念仏であったりするのだが、著者は「求めない」という生活哲学に、その方法を見いだしたと言うべきか。
 この本で、「求めない」と何回、繰り返されているだろうか。そう考えてみたら、
南無阿弥陀仏」≒「求めない」
という意味をもたせることも可能ではと思えてきた。「南無阿弥陀仏」は、どのような哲学的な呼びかけにも呼応しうるジョーカー的な存在なのであると感じたら、何か有り難い気分になっていた。
 どちらの本も、有り難いご縁でした。合掌。