中学校に行ってきました。授業参観と「学校保健委員会」発表会。テーマは「自分を大切にする・いのちを大切にする」〜命とその輝きについて考える〜
 授業参観は「知ってるつもり『中村久子』」を見て感想を書くと言うものでした。みんな一生懸命書いていたのでその中身にも興味がありますが、ビデオ番組自体を興味深く見させてもらいました。
 担任の先生も知らなかったのですが、中村夫妻は1963年(昭和38年)より、岡崎市羽根町西之郷に住んでいて郷土に縁のある人です。現在の岡崎駅の西側、覚照寺の西隣で、パン屋「ひまわり」のある所だそうです。
 「学校保健委員会」の発表は素晴らしいものでした。中学生日記としてでも通用するくらいで、みんなに見てもらいたいくらいの出来でした。昨年は別の作品で優秀賞をとっていたそうです。今年も参加したらと思います。
 しかし、残念ながらその後の講演が蛇足でした。折角の発表の余韻が薄れてしまいました。大学の先生はっていう感じで、若いのにあなたもか?と突っ込んでしまいました。聞いている子供たちが可哀想だし、今後このようなテーマの話は面白くないから聞かないということになるのが心配です。現に親の大部分は講演を敬遠しています。もし、この講演がなければ、素晴らしい生徒の発表をもっと多くの大人に見てもらえたでしょう。そして、考えることが始まったでしょう。今回のような講演は、無理矢理座らされているのですからそれを考慮して、いつも以上に楽しい話でサービスしなければなりません。講演者の思いは分かりましたが、今日くらいの話は半分の時間でまとめないといけません。そしてメインのメッセージをはっきりさせることです。言いたいことが何なのかがなかなか見えて来ないのは、聞いていてきついし頂けません。結局何が言いたいのかわかりませんでした。「いのち」について、もっと深く、考え抜いてその課題などをぶつけるような講演をして欲しかったと思います。これからも子供たちがずっと考え続けないといけないような話が良いと思いますがどうでしょうか。
 全般に「自分のいのち」とか「今自分は生きている」とか「自分を大事に」とかいう調子で流れていました。世間ではそうなんでしょうね。その結果300数十人を看取ったという講師の先生(耳鼻咽喉科の癌の専門)が、感動した最期を見たのは1人だけだということで、その一人の話をされたのですが。自分は、「今後の300人も同じように看取って行くのですか?」と一言、言いたかったです。少なくともお寺で聞く最期は、沢山の方がすばらしい最期を送っています。癌が末期になってもう自分では動けなくなっても、奥さんとお世話になった住職のもとに「ここまでお育て下さって有難うございました」と挨拶に来られたという話も最近のことです。真宗の教えは「十人は十人ながら、百人は百人ながら、みな浄土へ往生すべき事、うたがいなし。」なんと有り難いことでしょうか。合掌。