上の続きで一言。今の日本仏教界も、ミャンマーのように一向一揆のようなエネルギーがほしい。というか、なければ宗教ではないのではと思う。
というのは、中日新聞9/23日付カルチャー欄「般若心経のこころ」を読んで、みんな同じだと思ってしまったからである。
 マントラ』(真言、呪)とは、仏や神のシンボル(象徴)であり、仏や神への呼びかけに用いられる言葉である。マントラはあくまで般若(悟りの智慧)を求める修行において用いられる手段であって、現世利益の実現を願うための魔法の呪文ではない。『般若心経』は悟りの智慧を求める修行の方法としてマントラを唱えることを薦める経典である。
  中略
 『般若心経』は般若の心(真言)を唱えよと薦める経典である。すべてが空であり、真言のみが真実であるという。それは「ただ念仏せよ」とか「無心に坐禅せよ」という精神に通じているということができよう。

 もし私達が何も変わらなかったら、どの宗教でも同じということになってしまう。自分だけが救われるので良ければどれを与えられてもいい。我々はその宗教(宗派)を選び取ったのだから、その願いに向かって行動しなければならない。いや、真宗の場合には一歩踏み出すように自然になるのだ。これが真宗の「白道」である。そこからは中世の一向一揆のエネルギーが湧き上がってきて当然だと思う。なぜ、もっと世の中安穏なれを実践しないのだろうか。
 力にならない理由、それは、自分でこれだと思った宗派を選び取っていないからかも知れない。檀家ガラガラポンもあってもいいのではと思うが無理である。しかし、新興宗教に鞍替えするというのは、それが始まっているのかも知れない。本来は個人個人それぞれが宗派を選ぶべきであろう。他に鞍替えされるのが嫌だったら、一生懸命布教をするべきである。そうして集まった僧伽はエネルギー溢れる集団になるであろう。
ということでエネルギーのない今の既存仏教は宗教なのだろうか?