マザー・テレサ没後10周年ということで話題となり、いろいろ見ていたら次のような記事に出くわした。http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2272720/2044213
 【8月27日 AFP】カトリック教会の「聖人」に限りなく近いとされるマザー・テレサ(Mother Teresa)がしたためた私的な手紙が、近日出版される書籍の文中で公表される。この中でマザー・テレサは、自身の信仰の危機、および神の存在への疑念に悩まされていたことが明らかになった。
文中には、「あなたはイエスの愛を受けている。わたしはといえば、むなしさと沈黙にさいなまれている。見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえない」と書かれている。
 インドのコルカタ(Kolkata)で貧困層のために人生をささげたマザー・テレサは手紙の中で、自身を襲う「闇」や「孤独」、「苦しみ」について記し、神にあてたとされる日付のない手紙では、「わたしの信仰はどこへ消えたのか。心の奥底には何もなく、むなしさと闇しか見あたらない。神よ、このえたいの知れない痛みがどれだけつらいことか」と問いかけている。
 「貧民街の聖女」としても知られるマザー・テレサは、若年期にはイエス・キリストの啓示を受けていたとされるが、公の場での表情に反し、新たに明らかになった手紙の内容からは、彼女が亡くなるまでの50年以上を、神の存在を確信できないまま過ごしていたことがわかる。また、ある手紙には「ほほえみは仮面」と書いたこともあり、、さらに1959年に書いた手紙には、「神が存在しないのであれば、魂の存在はあり得ない。もし魂が真実でないとすれば、イエス、あなたも真実ではない」と記されている。(c)AFP
 
 この記述からマザー・テレサは、親鸞聖人と正反対の信じ方をした。親鸞聖人は、いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。そこから弥陀の本願まことにおわしまさば、・・・と。弥陀の本願はまことであると疑う余地のないところから、騙されて地獄に落ちても構わないというところに救いを見据えている。マザー・テレサは一生懸命やればやるほど、神の存在が怪しくなってきた。全能の神ならすべての人が救われるはずであるが、目の前には苦しんで苦しんで苦しみぬいている人が子ども達がいるのだ。マザー・テレサの感覚は真実であろう、自力を尽くした人にしか理解できない真実の光がかすかにみえたのだろう。宗教体験的なものを言えば、親鸞聖人にも似た感覚を彼女も掴んだに違いない。ヨーロッパに浄土の教えが広まっていれば、ご縁もあったかもしれないのに、残念。いたく気になるのは彼女が救われたかどうかということである。