今日は62回目の「原爆の日」。この1年間に亡くなった被爆者は5221人。自分が学生のころ教わった被爆者数は30万人。これは約300人に一人ということだった。中学校の生徒が1000人。この中に3人いるという割合の多さに驚いた覚えがある。被爆者援護法というものを作れと要望もしたが、全く無力と言っても良いくらい手ごたえはなかった。政府は被爆者が亡くなるまで待つつもりかと当時から言われていた。今も政治姿勢は変わっていない(ハンセン病での鶴の一声には驚いたが、逆に政治指導者さえ良識があればと思わせられた)。今の首相は、被爆者支援に積極姿勢で原爆症認定の在りかた見直しを検討するという。しかし、政権建て直しを狙うという意図含みである。本当に、弱いものには厳しい日本が、諸外国から美しい国と言ってもらえるようになるにはどうすればいいのか、と真剣に考えないといけない。

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 中日新聞の「明日を求めて…こどもたちへ(7)」で水谷修氏が書いている。水谷先生のところには、「人は、何のために生きなければならないのですか」という相談メールが届きます。必ずこう答えます。「誰かに笑顔をあげるために、誰かを幸せにするために」。
 仏法の世界にそんな真剣な相談があるでしょうか?直接質問は無くても「人は、何のために生きなければならないのですか」の問いに答えていかなければならないのではないでしょうか。水谷修先生の記事を読んで、槙原敬之さんの「Happy Birthday Song」を思い浮かべました。「生まれたときあんなに 大きな声で泣いたのは そのココロとカラダを全部使って 今度こそは誰かに何か 良いことをできるチャンスを もらえたのが嬉しかったからなんです