jinryuji2007-07-28

 今日は碧南市の「元気ッス。へきなん」お祭りで、帰りに市役所の前をぐるっと30分くらい歩いてきました。確かに若い人から、お年寄りまで道路を踊り歩いて元気でした。音響設備を市役所周辺に設置するのが大変だろうなと思いました。中心の市役所前は人、人で数千人は集まっていたと思います。(主催者発表で4万人の人出だったそうです)その中で奇跡的に梛野座長と遭遇しました。ということは市外からも結構見に来ているのだと思います。暑くなく浜風が吹いて、空には満月と本当に参加者はもちろんのこと、主催者が喜ぶような良い天候でした。(満月に見えましたが月齢は13.6でした)
 永田や碧南店は、絶好のロケーションでお客さんが二組、車を駐車させてくださいとやってきました。二組というのがウソみたいな場所なんですけれども。絶好の宣伝チャンスを逃してしまった感があります。来年はもう少し何か考えようと思っています。

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 碧南市から出た芸術家に藤井達吉という人がいる。達吉は芸術についてこう語っている「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」「最後は人格に帰する。何をしてもこの人格の表現だ。」そして、芸術を行なう理由としては「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」と言っている。達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上することである。つまり、昨日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求め続けるという意味であろう。それは、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えよう。友人に当てた書簡に次の言葉がある。
「芸術とは何ぞや宗教なり 宗教とは何ぞや真実なり 真実とは何ぞや愛なり 愛とは何ぞや芸術なり」(藤井達吉の芸術観1より)
 達吉の芸術に対する姿勢は、宗教観に影響されていることがわかるでしょう。藤井達吉の言うことには先見性があり、今にしてみれば当たっていることも沢山ありますが、当時はその鋭い指摘や辛らつな言葉が原因で離れて行ってしまう人も多かったと言います。それで、達吉のことを「孤高の芸術家藤井達吉」と呼んでいるのです。
 達吉の生きる姿勢に何かいいなぁと感じるものがありました。自分は話芸に興味がありますが、この「話芸」という言葉は、関山和夫先生が作った言葉です。話芸の芸は芸能ということですが、芸能には「大衆演芸」という意味と「芸術と技能」という意味があります。達吉の生涯を学んで、話芸の芸も芸術にして行けるといいなと思った次第です。

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 29年前の今日のできごと。1978年7月28日、超法規発言で栗栖統幕議長が更迭された。栗栖氏は「法に穴があるため、奇襲攻撃を受けた場合に首相の防衛出動命令が出るまで動けない。現地部隊が超法規的行動を取ることはあり得る」と週刊誌のインタビューで発言した。このとき自分は高校3年。朝まで生テレビの最初の頃だと思うが、栗栖という名前の響きと超法規的行動というインパクトで、非常に興味深くテレビの討論を聞いていたのを思い出しました。あの頃は、まだ自衛隊違憲という世論も強くこのような発言はけしからん、という雰囲気はありましたが、その後自衛隊というものがある以上、超法規的行動という訳にもいかないということで、なし崩し的に有事法制が整備されていきました。2003年には武力攻撃事態対処法などの3法も成立して、有事対応の法的枠組みが出来たとのことです。日本の未来を考える上で間違っていないかどうか、もう一度根本を議論してみたらどうでしょうか。当時の番組を見て検証するのもいいのではと思いました。
 栗栖氏の発言による流れは、今の政治家の民衆意識調査のような手法に繋がっているようにも思えてきます。誰かをスケープゴートにさせて、ちょっと問題発言をさせてみて、民衆の反応を試す。そして免疫が出来た頃に正式に偉い人がコメントを出す。そのときにはもうみんな忘れているか、どうでも良くなっているという手法。原点は栗栖発言にあったのかも知れません。
 今日は選挙に行ってから出勤です。