「こころの手足」中村久子著 春秋社
 この本を読んでいて、ふと不思議な感覚を覚えた。中村久子さんの仏法を聞いたその現場が何となく浮かんでくる。そして、その時代が浮かんでくる。「一つあなたの真宗の御領解を話してくれ、どういう具合に未来を助かろうと思うか」という質問が当たり前のようになされる。甲斐和里子さんとの会話で、甲斐さんが金子大栄先生に、「わしはお浄土から還相回向で来たんやいうことが分る方法ないですか」と尋ねたという記述がある。金子先生はこう答えたと言う。「娑婆に出るたびごとに苦しんで、辛抱して、御法を頂くということは、それもええじゃないですか、ソコが有難いじゃないですか」甲斐さんは、あの人の言いそうなことじゃと思って「もうあなたにゃたずねん、別段ええ工夫もないようじゃで」と言ったそうである。そこには、ほのぼのとした仏法談義が見て取れる。最近、仏法のことを語る場がなくなったという嘆きも分るような気がする。
 何が不思議な感覚かというと、法然上人がお釈迦さまに会えなかったのは、自分がどこにいたからだろうかと哀しまれている。確かにお釈迦さまの時代には、地獄八熱の底にいたかも知れないが、そんなに遠くない昔、中村久子さん、甲斐和里子さん、金子大栄先生が仏法談義をしていたとき、これは昭和32年のことである。自分はまだ生まれていない。そして、中村久子さんは昭和43年3月19日に72歳で亡くなる。自分が8歳のときである。もちろん、全く知らなかった。本当にその時代の人でも、その気がなければ会うことも出来なければ、話を聞くこともできない。お釈迦さまの時代に生まれていても、9億人の民衆のうち3億人はお釈迦さまのことを全く知らなかったという。御縁とはそんなものである。人身受けがたし今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く。隣人会い難し今会う機会ありである。擦れ違いもあろうが、できるだけ今生の出会いを大切にしていきたいものである。