6/28のブログに「不都合な真実 ECO入門編 アル・ゴア著」の本の紹介をしました。そのブログの中で自分は「エコ」ということが好きではないと言いました。「エコ」という言葉で全てを抹殺して行くような危険性を感じるからです。それ程日本人は扇動されやすいと思っています(これは九条の問題にも繋がるのですが、自分の護憲理由は日本人は縁あればエコノミックアニマルにもなるし、それこそいかなるふるまいもする国民性をもっていると思っているからです)。真実はどうかはわかりませんが、「割り箸はもったいない?」田中淳夫著という本が出ていたので買ってきました。http://homepage2.nifty.com/tankenka/chosaku-waribashi.htmこの著者は割り箸の素晴らしさに感動し家でも割り箸を使用している割り箸ファンだそうです。割り箸は最も身近な木製品ということに気づき、割り箸のことについて調べ始めたら奥が深く、日本人にとっての木に対する思いとか木材事情が浮かび上がってくるのではと思ったといいます。
 
 割り箸は自然破壊のシンボルのように言われているがはたしてそうだろうか。自分はすごーく以前TVで割り箸は、廃材の有効利用のような番組を見て「そうか捨てるのなら、割り箸にしてでも使ったほうがいいではないか」とある種洗脳されていた。しかし、これも、情報発信者のディベート力でそう思わされていただけかもしれないし、割り箸の生産量はコンビニのなかった時代と今ではあきらかに違うだろうと想像できる。
 しかし、この本を読んで割り箸にも300年の歴史がある日本の文化なのだ、とある意味誇りに出来るものではないか。発想を転換しなければいけない。「自分のマイ箸運動」に対する違和感はそのようなところだったんだと、気づかせてもらえた一冊でした。
 この著者はできる限り客観的に割り箸のことを調査し、割り箸の歴史や輸入割り箸の軌跡、割り箸不要論と塗り箸の世界を追っている。そして、森林と林業のこと、箸に関わって生きる人々の未来の展望を環境問題と絡めて考えるのは良い試みだったと思う。
 日々勉強して百も承知だとは思いますが、是非マイ箸運動の人に読んでもらいたい本です。そしてできるだけ情報を国民に発信して貰いたい。自分は事実を(何が事実か隠されて分からない世の中ですが)自分なりに調査研究して、その裏づけをもって運動に参加したいとおもうから。森林破壊けしからんと怒りにまかせた「雑毒・雑修の善」にならないよう、私たちは、本当はどうすれば環境破壊を防げるのかを真剣に論議したいものです。
 自動販売機製造会社、飲料水販売会社、小売店の方々には申し訳ありませんが「自動販売機禁止法」制定運動があれば真っ先に署名します。というようにエコは必ず国民の犠牲の上に成り立つものです。大会社がまず意気込みを見せてもらいたいものです。法律制定の謎-あの三角表示板は何だったのでしょう。今車に乗っていますが使用したことはありません。-そんなことができるのなら、もっと環境に役立つ法案も作れるでしょう。たとえそれによって一部の企業に不利益があっても、やらなければならないことはやらなければならないと思うのです。問題は誰がそれを判断するのか。企業献金が当たり前、天下り天国の世の中ではたしてそんな公平な判断ができるのか。はやく仏法ひろまって「仏のものさし」が確立されてほしい。それが現実の「浄土」かもしれない。現生正定聚って何だろう?