ラジオの人生相談で子供(30代)にかかわりすぎて(心配しすぎて)、鬱気味になってしまっているという母親の話を聞いていました。相談に乗る先生が、「息子さんを一生懸命心配して助けてやっているつもりになっていますが、実はお母さん自身が救われたいんじゃないですか?良いお母さんになろうとしているんじゃないの。」と諭していました。その母親は最初「そんなことはない」というようにしていましたが、最後は「そうかもしれません」と言っていました。対機説法のようで興味深く聞いていました。観無量寿経にあるように一人一人が救われなければ、宗教が在る意味はありません。お寺にはそのような人生相談が必要な人も時として現れることでしょう。そんな人の話を聞いて、その人が少しでも元気になって、笑顔で帰っていけたらそれこそ住職名利(娑婆の世界のことなので名聞利養の語を使わせてもらいます)につきるのでは、なんて思います。すべて考えてみれば自分の煩悩の満足にすぎないのですが、生き易いか生き難いかは人間同士の‘ふれあい’にあると思っています。世間のふれあいはお愛想、仏法ではこころのふれあいを大事にします。そのキーワードは、「共感」です。ラジオの人生相談の先生がこんなことを最後に言っていました。
 「ひとにウソをついても良いが、自分にウソをついてはいけない。自分にウソをつくと生きていけなくなります。」 松岡農林水産大臣の例はそうかも知れません。
 「うつ病ほど、人から理解されることが必要なのに人から理解されない病はありません。」

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7/9付中日新聞活動弁士佐々木亜希子さんという人が載っていた。国内外の無声映画に語りを付ける活動弁士は日本独自の存在で、全国に十数人しか活動していないという。佐々木亜希子さんは活弁を知らない全国の人に感動を届ける「一生の仕事」という信念を持っている。その信念は2001年下呂温泉チャップリン映画祭で出会った男の子によってもたらされた。お客さんは少なかったが3回の公演を3回とも見てくれて友達まで連れて来てくれた。そして「面白かったー」って喜んでもらえた。そのことがきっかけとなって、こんなに喜んでもらえるなら、全国で感動を与えられる弁士になりたいと決意したという。多くの知識や表現力、台本を書く力などが必要とのこと。現在レパートリーは120作品。佐々木さんは言う「語るのは一人でも、公演は一人では出来ない。私を呼んで良かったよ、と言ってもらえるよう、もっともっと上達して、感動を与える芸の核を持ちたい。下呂の経験で弁士としての原が据わったと思う」
 法話をされている方なら、終わったときの達成感は何とも言えないものがあると思います。自分は金山駅前の「明日なる!広場」の野外ステージでやった絵解きが忘れられません。12/2の寒い中、夕方の部は座席に10数名の観客でした。バナナの袋を持ったホームレス風のおじさんが一番前で聞いていてくれました。終わって観客から拍手が起こりました。道具を片付けて楽屋へ帰ろうと一番前の通路を通ったとき、そのホームレス風のおじさんがまた拍手で見送ってくれたのです。「やった、これこそ辻説法だ」そのとき心の中で叫びました。こんな経験をすると「苦労してやって良かった」と思うのです。そして、達成感と充実感とともに安堵感、開放感、脱力感といった何とも言えない心地が得られます。一種の麻薬(ドーパミン)の影響かも知れません。自分にとって佐々木さんと似たような貴重な経験でした。
 今度一度、佐々木亜希子さんを「絵解き座」に招待して、語り芸の技を教えていただきたいと思います。(今度とお化けは出たためしがない、ですか。)