仏教的ものの見方-仏教の原点を探る-森章司著 国書刊行会

仏教的ものの見方・生き方 いかにして「あるがまま」を「あるがまま」に見られるようになるか(2)
ところで諸仏の説かれた教えは、諸仏たちが気がつかれた「あるがまま」の実相を言葉で解明したものであった。それが四諦であり、無常・苦・無我であり、空である。また、その成り立ちを縁起説として示された。それが十二縁起であり、六因四縁五果であり、法界縁起であり、阿頼耶識縁起であった。しかし、これは所詮、月をさす指であり、冷たい水を汲むツルベ縄にすぎない。私たちは、じかに月を見、冷たい水を味わわなければならない。最も肝要なことは、諸仏の教えを手掛かりに、私たちも「智慧」を獲得することである。
しかし、仏教における智慧は、決して理解するとか、分かるという次元のものではない。「如実知見」:「あるがまま」を「見る」ことが、すなわち「知る」ことなのである。だからインドでは、仏教もダルシャナと言われる。「哲学」とは「見ること」なのである。 (3に続く)