出雲路暢良選集Ⅳ教育のいのち」の「自分を大切にする道」はたったの19ページでしたが、中身は濃いことを高校生に分かる言葉で説いていると思う。
 本当の満足、喜びとは?
 欲しかったものが手に入ること
 我を忘れて遊ぶこと
 娯楽を楽しむこと
 名誉心を満足させること
 嫌な奴が失敗したりすること
これらのものはすべて外のものです。これらのことで満足している私たちが、自分というものにもういっぺん目を向き直す。そして自分は何を望んで生きているのか。外にだけ向けて生きている我われの生きざまというのは、結局は自分と言うものに気づいた時にやり切れないくらいに寂しい。好きなように生きるということはどういうことか、もう一度自分にかみしめて、今自分がしようとしていることは自分が心の底からしようとしていることかどうか。このことを成したときに、自分の心が本当に曇りなく喜んでくれるかどうか、そこのところをとことん吟味するということが本当の意味で自分を大事にする道になるでしょう。
 
《「出雲路暢良選集Ⅳ教育のいのち」の中で紹介した新聞記事にあったエピソード》
六才の悦子ちゃんがお母さんと保育園へ行く道を急いでいました。
それまで黙っていた悦子ちゃん、「お母さん、いのちって何?」
何と答えたら良いのでしょう。でも答えなければなりません。
「いのちって動くものみんなにあるもの。その、いのちがあるから生きているのよ。」
「ふうん」悦子ちゃんは頼り気ない返事です。
お母さんは逆に聞きました。
「じゃ、人間はいのちがあるのかな?」
「ある」
「じゃ、猫は?」
「ある」
「じゃ、犬は?」
「ある」
「じゃ、草やお花は?」
「ある」
「どうしてあるの?」
「だってどんどん大きくなるもの。いのちはあるよ。」
「じゃ、土はいのちあるのかな?」
「ある」
少しもためらいなく悦子ちゃんは答えました。
お母さんは「ない」と答えるとばかり思っていたのです。
そこで「どうして?」。
「だってお花や草や大根さんの種をまいたらどんどん大きくなるでしょう。
 一生懸命に育ててくれるんだよ。土はお花や草のお母ちゃんや、だからいのちある」。
我が娘ながら、大人の思いもよらぬたしかな心の成長に驚きました。