昨日は平田聖子さんにお会いできました。
和讃の作曲は1995年から開始したそうで、
17年かぁ。
一つ技(技術や経験)を持っている人は説得力があります。
学者とは違うりっぱな布教使です。
聞いている人の頷き、顔つきが違います。
一概に良いとは言いませんが、
たぶん、聴聞されている方の中に、
これを機に宗教的な新たな思いも湧いてくる方が出てくると思います。
入り口は八万四千だけど、
お寺や布教使の法話にその入り口が少ないことが残念だと常々思っています。