浄教寺様での酒井義一師の法話

FBを見て天白住職も聴聞に来て、挨拶できました。
FBの情報発信力はすごいですね。
酒井師の「“福島の人”という人はいない。皆名前を持っている。」という言葉にハッとさせられました。
言葉は光なり。言葉は力なり。親鸞に遇うとはその言葉に出遇うことである。
「共に生きる」という言葉は、人間には使えない言葉ではないか。
共に生きられない痛みを感じて生きていくということに気づかないといけない。
長渕剛の『ひとつ』を紹介して、歌には力があると言っていました。同感です。