昨年はタイガーマスク旋風が吹き荒れました。
今年も少しずつニュースも出ていますが、
震災にかき消されてしまわないかと心配です。
皆さんもできる限りで良いので、どんな形でもいいので経験して見てください。
本当に人生の勉強になります。
今年1月31日のブログ記事です。

タイガーマスク運動も少し収束してきたので、

以前言ったように前に書いたものをアップしたいと思います。

 

実は自分も大変共感して、その運動に勝手に乗っかりました。

もちろん「伊達直人」とは名乗りません。

でも新聞の夕刊や地方紙にメッセージは載せてもらえたし、

その後もしばらくは続いたので意味はあったと思っています。

  

以前「絵解き&トーク」のイベント企画で、皆が喜んで入場料を払って、

さらに収益がでるならば、寄付のできる企画を作りたいと思ったことがあります。

収益計算もして、どこへ寄付するのが一番良いのか困るとまで考えました。

このブログにも書いた覚えがあります。

 

結局、いろいろなことがあって頓挫してしまいましたが、

(そのとき書き込みも消去してしまったみたいです)

その時の目的はあくまで「絵解き&トーク」がメインで、

法話を取り入れた話芸のイベントを多くの人に楽しんでもらい、

仏教は面白いということを周知させるということでした。

その延長で慈善事業ができるならばそんなに良いことはないと思ったわけです。

 

しかし、「タイガーマスク運動」はそんなことは関係なく、いつでも、

だれでも、人のために寄付することができることを教えてくれました。

 

賛同しながらも、実行にうつすまでには少し時間が掛かりました。

  

歎異抄の言葉が出てこないわけでもありません。

また、偽善という言葉も思い浮かびます。

中には実際に「偽善者」の名前で寄付した真宗的な善人?(悪人か?)がいましたが…。

 

自分は二の足を踏んでいました。やり方が分からなかったからです。

恥ずかしさもあります。ランドセルは絶対に買うことはできません。

しかし、やると決めたらその日に実行していました。インターネットで

児童擁護施設を調べて、実際にその施設の外観を見て、決して贅沢とは

言えないその施設を見たとき、ここに寄付しても大丈夫と確信しました。

あとはポストに入れるだけです。

あくまで手を離れた瞬間に喜捨となることは承知の行為です。

名乗る必要はありません。

  

そこで分かったことは、何事もやってみないとわからないということ。

喜捨のはずが、受け取ったということが確認できないと安心できない自我。

勇気を持ってした行為が無駄だったのだろうかという後悔の念が出てきたり、

しかし、いざニュースに載れば「やった」と思ってしまう虚栄心の塊。

 

「新一年生のために使わせてもらいます」という園長のコメントははっきり言って

気持ちの良いものでした。

今回のことでの一番の収穫は、児童擁護施設という、全く関係がないと思っていた

(もっと悪く無関心だった)所に目が向けられたことです。

自分のスケジュール表には来年の寄付の予定も記入しておきました。

  

一過性のブームでも良いですから、ぜひブームに乗ってください。

一度経験してみると何かに気づき、何かが変わるかも知れませんよ。

もしかして寄付をしてもらったのは自分の方かもしれません。

この4日間(1/12から)ハラハラドキドキしながらもなぜか楽しかったし、

今まで長年影ながら寄付をしていた人たちがいることを

思い起こさせてくれたこともありがたい限りです。

それも尊いことですが、影ながらでなく、次に続く運動にしなければと思いあえてここに書きました。

  

家では「これからいろいろあるんだから無駄遣いしないでね」と冗談ぽくちくりとやられもしますが、

今は、何かいやなことがあっても、
顔の知らない新一年生6人のことを思うと頑張らなくちゃ、とも

思えてきます。
全国で1000人くらいが運動に参加したとすると10万人に一人の割合。

(もちろん今回のこととは関係なく寄付を行なっている人はいます。)

他の募金活動もありますが、手の届く目に見える支援は募金とは全く違う納得感があります。

(因みに自分は募金箱への募金はしません。経験上どこにいくか分かりません。

募金する場合は捨てるつもりですること。もし有効に使って欲しかったら、直接持っていくことです。)

ぜひ関心をもって社会をみて欲しいと思います。