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ブックオフで本を3冊買って来ました。
松本梶丸著「生命の見える時 一期一会」
中島義道著「哲学の教科書」
ピエール・フェルッチ著 泉 典子訳「子供という哲学者」
「生命の見える時 一期一会」が帰って来るまで松本梶丸師の著書だと知りませんでした。中島先生の本も面白いし、こういう収穫の多いときもあるもんだとすごく得した気分です。
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今日は午前中に仏壇を買ってもらっているお客様の市民葬儀があり、先週お位牌も納めさせて頂きましたご縁もあり、葬儀に参加して献花してまいりました。500人を超す参列者は、多分錚錚たる人たちなのでしょうが、全く知っている方がいませんでした。とにかく参加して、まだまだこんなに知らない方々が居るのだと知って、お仕事の意欲と期待がムラムラと湧いてきました。
上記の本「生命の見える時 一期一会」の中に、一句の川柳が紹介されていました。
〈この骨が かつて力んだ こともある〉
祭壇に祭られた遺骨を最後にご遺族に受け渡すとき、みんな死んでしまうのだなぁと、何か変な気持ちになってしまいました。力んで業績を残してもみんな死んで行くんだ、と。空しいとは思いませんでしたが、なぜ、生きているんだろうと考えてしまいます。
午後にたまたま行ったお宅が、以前お寺でお会いした、在家から得度した方の家でした。得度するのも良いものですよとすがすがしいその表情は、何か行き方のヒントを与えてくれたように思えました。毎日5時に家でお勤めをしているそうです。普通のお寺さんよりずっとお寺さんらしい方です。
そんなことで今日もいろいろな出会いがありました。感謝、そして今は亡き人に合掌。