真宗聖典p.247 「自ら信じ人を教えて信ぜしむ」…自信教人信
往生礼讃 初夜讃 大経礼讃
南無して心をいた至し帰命して、西方の阿弥陀仏に礼したてまつる。
 仏世にははなはだ値(もうあ)いがたく、人信慧あること難し。
 たまたま稀有の法を聞く、これまた最も難しとなす。
 願わくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心をいた至し帰命して、西方の阿弥陀仏に礼したてまつる。
 自ら信じ人を教えて信ぜしむること、難きがなかに転(うた)たさらに難し。
 大悲をもって伝えてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。
 願わくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。

 浄土宗の寺院にお参りすると、「南無至心帰命礼 西方阿弥陀」という言葉がところどころに出てきますが、往生礼讃の言葉だったのですね。
善導大師に拠っていることが言えます。それに対して真宗親鸞の名前からも察せられるように、どちらかと言えば天親(世親)菩薩・曇鸞大師に拠っているためか、あまり往生礼讃の儀礼・実践の方法は採っていないようです。それよりも「一心」ということを大事にするようです。浄土教の中の念仏門にも拠り所が微妙に違うのか、宗派が違うということは、その考え方も違うのでしょう。ということは、真宗を知るためには、基本的な教義を把握しなければなりません。それを簡潔に過不足なく説明している書物はなかなかありません(誰か作ってみたらどうでしょうか)。これって真宗と思うような本も出ています。
 真宗の教えを基本的に学ぼうと思えば、「教行信証」を読んで理解するしかない、と今更ながら思い読み始めています。昔よりはかなり読めますが、分からない所の方が多いような…。でも、言葉の出所等が分かるとなーんだということも多くあります。
 今、p.251御自釈
 誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし、痛むべし、と。
 それ仏、難治の機を説きて、
まで来ました。この後有名な涅槃経の引用で、阿闍世の救われるためにお釈迦様が月愛三昧に入るところとなります。ちゃんと読んだことがありませんでしたので、結構長いですが、この機会に一気に信巻の最後まで行ってしまいましょう。南無阿弥陀仏