自分は知らなかったのですが、「清風」という寺報の中に小椋桂さんの「暇つぶし以上に」という曲が紹介されていました。
 借りてきたはかりの上に
 自分のしあわせのせてる
 あなたが僕には悲しい
     :
 暇つぶし以上に何をしていますか
 暇つぶし以上に何をしていますか
 
 小椋桂さんの歌は何曲かは知っていますが、それは布施明が歌っていたり、中村雅俊が歌っていたり、美空ひばりが歌っていたりするものだった。この歌を誰かが歌っているかどうかはわからないが、メジャーにならなかった歌にも良いのがあることを知らされた。ただ、「暇つぶし以上に何をしていますか」のフレーズには共感がもてるのですが、そこまでの歌詞が惜しい気がする。「知ったかぶりした顔のうらで いつだって他人をせめている あなたが僕には悲しい」という歌詞には共感するが、他はちょっと…。「たらいで生まれて おけの中まで 何もわからず生きている 時の流れが悲しい」の内容には共感するが、「おけの中」という歌詞としてはちょっと厳しいかなと思う。これに楽曲がつくとまたイメージが変わるのだろうが、残念ながら曲を聴くことはできなかった。歌詞の全文はここ。
http://www.evesta.jp/lyric/artists/a1095/lyrics/l96613.html
 小椋桂全曲人気順はここ。これによると「暇つぶし以上に」は218曲中83位ということです。
http://www.evesta.jp/lyric/artists/a1095/lyrics/ranking.html
 
 人間が暇つぶし以上にする何かは、すべて人を傷つけたり、人の揚げ足を取ったり、しあわせになるのに逆行するようなことばかりをするという皮肉。人間が気張ると余計なことしかしないのだということだろう。暇つぶしは究極の人生であり、どんなにりっぱなことをしたとしても時間との交換に過ぎない。いずれ忘れ去られる運命にあるのだ。自分の幸せを見出すことは時間との戦いかも知れない。
 こんなことを書いていて、足利事件の菅家さんの記事を読むと、可哀想で仕方が無い。17年前といえばもう現代である。そんな時代でも冤罪で人生を台無しにされることもあるという怖さ。検察も裁判官ももっと肩の力を抜いて、最大限に想像力を働かせるべきであった。気張った結果、期せずして17年間も暇をつぶしてしまった。最初から、暇つぶし以上のことなんか出来ないと気づいていれば、もっと違う結果になっていたのではないだろうか。