それぞれのお寺で寺報を出しているところも多い。碧南の地に縁あって、「妙法」という寺報をもらって読んでいる。その第41号に中村久子女史の詩が載っていた。
「ある ある ある」
さわやかな 
秋の朝
 
”タオル取ってちょうだい”
”おーい”と答える良人がある
 
”ハーイ”とゆう娘がおる
 
歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
 
短いけれど
指のない
 
まるい
つよい手が
何でもしてくれる
 
断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある
 
ある ある ある
 
みんなある
さわやかな
秋の朝

 自分は「知ってるつもり」も見たし、三島多門師の法話も聞いていたが、肝心の中村久子さんの作品とかをよく読んでいなかった。
 日蓮宗のお寺の寺報で、あらためて気づかせていただいた。中村久子さんのことを詳しく書かれている本に「花びらの一片 中村久子の世界」がある。その本の154頁に「ある ある ある」の詩は紹介されていた。
 この詩をよく読むと?と思うところもある。調子が良くないからである。
 「良人がある」と言ったすぐ後に「ハーイとゆう娘がおる」と「おる」になっている。
 「歯をみがく 義歯の取り外し かおを洗う」という意味が通じない文。動詞、名詞、動詞で終わるという変な感覚を覚える。「義歯の取り外し」は「義歯を取り外す」か「義歯を取り外し」でないとしっくりこない。
 対句のようになっていて、ちょっとずつ崩す。「ある ある ある」という題なら、それを使って、「断端に骨のない やわらかい腕もある」の前の段は「短く指のない つよい手がある」でないと自分は落ち着かないのである。
 不思議な調子の詩である。調子を崩し、韻を崩す、意図的なものだろうか。多分、喜びの実感を書きつけたもので、添削や考察はそれほどしていないものなのだろう。
 中村久子さんの信仰を「こころの手足」の解説の中で瀬上敏雄という方がこう書いている。
 『信仰の上でも久子さんは一匹狼であった。久子さんを知らぬ人たちは、久子さんを浄土真宗の信者だと決めておられたようであるが、久子さんは決して真宗の信者ではなかった。むしろ真宗寺院の在り方に厳しい批判を持っておられた。「いずれの行もおよびがたき身」であるからといって、本当の「行」を持たぬ僧侶を嫌われた。久子さんの信仰は、宗派を超えて、親鸞聖人に直結し、「如来からたまわりたる」念仏に生きられたのである。『歎異鈔』を座右の書とし、左腕の断端の少し上のところに数珠をはめ、暇さえあれば念仏を唱えられた。
 位階にも袈裟にも決して頭を下げなかった久子さんは、信仰の上では一層妥協を許されなかった。久子さんを宗教に導かれたのは「無我愛」の提唱者、伊藤証信先生と朝子夫人であるが、その証信先生が戦争中、国粋的な傾向を示されたという理由で、久子さんは「無我苑」を敬遠しておられる。久子さんにとって念仏も、業深き己れのいのちも、「如来からたまわりたる」ものであって、その時その時に、国家や政治や、都合のよいものに結びつくものであってはならなかった。それは見事な厳しさを信仰の上でも示されたのである。』

 『「いずれの行もおよびがたき身」であるからといって、本当の「行」を持たぬ僧侶を嫌われた。』というのは全く同感である。真宗法話で中村久子さんの話を取り上げることが多いのですが、このようなことを知って話をしているのでしょうか。
 中村久子さんの宗教体験の根底に「無我苑」が絡んでいたのは、またまた驚きです。