今日は特休をとって、梅原猛氏の講演会を聞きに行ってきました。場所は碧南市芸術文化ホールエメラルドホールで、500人くらいの収容人数で半分強の入りだったのが意外。しかも、関係者の動員も結構あって、人気がないのかなぁと言った感じでした。
 「環境問題と哲学」という演題で講演をされましたが、全くといって良いくらい面白くなく疲れもあって半分以上寝ていました。これから悉皆成仏の哲学を完成させるために最低3年はボケずに生きて、できれば125歳まで生きたいと言う結論にはちょっと??
 やはり、自力で成功を収めた人と、凡人とでは人生設計が違う、もっと言えば生死の哲学が違いすぎます。83歳にもなればいつ死んでもいいような生き方を願うのではと思っている自分には、受け入れがたい結論でした。
 (しかし、今日考えたことですが、もし2億円の宝クジが当たったら死んでもいいと思えるだろうかということ。何かやりたいという欲が出てくるのではないでしょうか。やはり本格的な仏道を目指すなら財はあってはならないし、執着しそうなものは捨てないとそのような境地にはなれないのだと感じました。) 
 古来アジア地域に特有に存在した本覚思想に気づいてそれをもとにした哲学をまとめたいということにも驚きました。逆にいうといろいろなお坊さんがそれぞれ考えられる仏教観をもっと発表されたらいいのではと思います。梅原氏も一般に分かるように表面的なことを述べたのだと当然思いますが、それらのことは普段から寺院の勉強会では討論されているようなことで、もっともっと深く掘り下げてもらいたかった。
 特に梅原氏は本覚思想を見直すような意見でしたが、自分たちの意見では本覚思想が現代の仏教を衰退させているのではないかと、本覚思想が無意識で根付いていることが問題ではとまで考えています。
 哲学者は仏教者とは違うので、研究する目的が違うところにあるのでしょうから、取り組む方法も変わります。自分は学者先生のいうことを均していくとどうしても無宗教的なものに集約してしまうように思えます。というのも自分的にはそちらを支持する部分がかなりあるからです。
 仏教者は仏教的な思想をもっとアピールしないと学術的合理的思考の流れに埋もれてしまうのではないでしょうか。
 今日の中日新聞末木文美士(すえきふみひこ)氏が「東京ボーズコレクション」のことを取り上げて、「広く仏教の重要性をもっとしっかりと認識されなければならない。イベントだけでは仕方がないが、マスコミを使いながら社会の宗教アレルギーに挑戦しようというのであれば、仏教界の戦略もなかなか侮れないところがある」と結論付けています。
 有名哲学者に対抗できるような宗教家が出てくること、そして哲学的にも世の先生たちを凌駕することを期待しています。