今日、碧南の貞照院さまで一切経の虫干し法要が行われました。法話に来られたのが桝田英伸師。鎌倉の長谷寺からはるばるやって来られました。あいかわらず勉強家の一面を見させていただける法話でしたが、自分が驚いたのは、桝田師がお参りの人にと持ってきて下さった「ひとつば」という自身で書いた読み物の中に、叡尊上人と忍性上人のことが書いてあったことです。
 自分は、ほんの数日前に戸頃重基著「鎌倉仏教 親鸞道元日蓮」を読んで、忍性という人を知りました。
 広辞苑に、忍性:字は良観。大和の人。叡尊・覚盛に真言律を学び、諸国を遊歴し、鎌倉の光泉寺など多くの寺を創設、復興、また道路・橋・救貧救病所の修造など社会事業に尽力した。とあります。
 これを読んだときに、宗教も社会貢献できると確信をもちました。しかし、できることは、各々が出来る精一杯のことですが。真宗であろうとここはきっちりと言わなければならないことだと思いました。もし、それは違うというのならば、大乗仏教としての甲斐がありません。たしかに、親鸞聖人は社会的には何もしなかった方だと思います。ですから、歴史には名前が残りませんでした。しかし、それをもって私たちが何もしなくて良いわけではありません。真宗の復興とは、今までの常識を排除して一から教えを見直すことから始まるのではと思います。

 鎌倉時代の僧侶・叡尊上人による「文殊菩薩の行」を学ぶことが出来ます。叡尊上人は当時乱れていた仏教のあり方を糺すために戒律の復興を志し、一方では数多くの貧者、病人のために療養施設をつくり、人々を救いました。その利他行(他人を救うための修行)の根本にある思想こそ、「文殊菩薩の行」なのです。』ひとつばより引用
 そして、古都鎌倉の長谷の地には忍性上人の建てた療養施設「桑が谷療養所」の跡地の石碑があるそうです。
 何と言う偶然でしょう。ここでも共時性の不可思議を感じさせてもらいました。