善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。

5/15付の中日新聞に「ひろさちやのほどほど人生論」が載っています。時々掲載されるのですが、今回のテーマは「理想と現実」。ひろさちやさんは次のようなことを言っています。「『理想と現実』を考えるときに、もし理想が現実と違っているならば、我々は『現実がまちがっている』と言うべきです。仏教の教えは-競争するな!-です。競争すれば勝者も敗者も共に傷つきます。勝者も傲慢になって人間性を失ってしまうからです。しかし、現実には競争があり、その中で生きています。競争せざるを得ないのです。だからといって仏教が間違っているのではありません。私たちは『現実が間違っている』と言うべきです。現実は理想通りにはなりませんが、理想を捨ててはいけません。理想がないと、現実が間違っていることに気づきませんから。」このことをバス停の時刻表で例えています。老人が、15分も遅れているバスに腹を立て、「時間通りに来ないのならこんな時刻表なんて役にたたない。不要だ!。」そばに居た御婦人が「でも、その時刻表がないと、バスがどれくらい遅れているか分りませんよ。」と。実際にあった話としてありましたが、時間にルースな外国のジョークにあったような気がします。何故この話を取り上げたかと言うと、憲法というものは誰が作ろうといいものはいいのです。日本で唯一世界に誇れるものです。日本に生まれて良かったなあと思わせてくれる数少ないものの一つです。仮に現実と食い違ってきても現実が間違っているのであって、憲法が間違っているとは言えないと思います。日本国憲法が理想として間違っていますか?本当は違うのだが、現実こうなってしまっているという懺愧の心がなければ、傲慢な嫌な国になってしまいます。どこかの大臣のように「法律に則って処理しているから問題は無いんだ」と、平然と言ってのけることは目に見えている気がします。国民は賢くあれ、決して政治家に騙されてはいけません。過去の戦争は一人の誰かが起こしたのではなく、民主主義の多数の論理で合法的に引き起こされたことを忘れてはいけません。余談ですが国民を団結させるキーワードは「怒り」だそうです。国民をまとめるために、他者に対して怒らせようという風潮が出てきたら危険だと感じてください。

「人生、惚れてこそ 知的競争力の秘密」米長邦雄・羽生善治

平成8年3月28日発行、というのもブックオフで購入。二人とも頂点を極めたトップ棋士、将棋界のスターであるがその考え方は理路整然。頭がいいとか回転が速いというのはこういう人たちのことをいうのだろう。かねてから「兄3人は頭が悪いから(将棋界でなく)東大に行った」と豪語する米長氏の明快な話は飽きさせない。勝負師の厳しさと楽しさが伝わってくるさわやかな一冊。第一章「頂上を見て生きる」では宗教もからめて話を展開する。人生の指針が得られるかも。